新生活という言葉は、少し他人事っぽい響きがあります。
学生でも新社会人でもない年齢になると、なおさらです。
春が来たところで、こちらとしては入学式に出るわけでもなく、フレッシュなスーツに身を包むわけでもなく、だいたい花粉と気温差に振り回されて終わります。
その証拠に今年は既に大サイズの花粉症の薬を2箱消費しています。
ホームセンターや家電量販店に行けば、「新生活応援」の文字がそこら中に並んでいて、世の中的には大変めでたい季節なんだなと思っていましたが、ここ数年の自分にとっては、その“新生活”という言葉は、どちらかといえば売り場の向こう側にあるもので、自分の生活にまで入ってくる感じはあまりありませんでした。
でも今年は、さすがに少し違いました。
娘がこの4月から高校生になり、それに合わせて家の中の生活も結構変わったからです。
といっても、ドラマみたいに何かが劇的に切り替わるわけではありません。
変わるのは、もっと細かくて、もっと生活に近いところです。
部屋のことを考える。
食事のことを考える。
朝の流れを考える。
仕事の時間をどう調整するか考える。
こうして書くと、やっていることはかなり普通です。
ただ、その普通のことが、漢方薬のようにじわじわ効いてきます。たぶん。
新生活というと、つい本人だけのもののように聞こえます。
入学する人、就職する人、引っ越す人。
でも実際は、誰か一人の生活が変わると、その周りの生活も少しずつ巻き込まれていくのだなと、今年はかなり実感しています。
特に分かりやすいのは、やはり食事まわりです。
これまでみたいに、自分一人の都合だけで適当に済ませる、というわけにもいかなくなりました。
別に毎日カップ麺だけをすすっていたわけではないのですが、自分ひとりなら「今日はこれでいいか」で済んでしまう日があるのも事実です。
ただ、今はそうもいきません。
できる限りバリエーションも考えるようになりますし、ちゃんとした生活というのは、こういうところから始まるのかもしれないなと思います。
派手さはゼロですが、現実味はかなりあります。
お弁当についても、完全に自分が全部担っているわけではなく、娘も率先しておかずを作ってくれるので、二人で協力しながらやっています。
でも、その“何とかやっている感じ”も含めて、春っぽいのかもしれません。
少しずつ物が増えて、少しずつ役割が増えて、少しずつ気にかけることが増える。
自分にとって今年の春は、そういう変化を含んだ季節でした。
来年の春には、もう少し余裕のある顔でこの季節を迎えられているのか、
それとも相変わらず花粉に負けながら、弁当のことを考えているのか。
ただ、そういう少しずつ変わっていく日々も、今年は悪くないなと思っています。
